http://koumama.seesaa.net/article/22707289.html
個々にお応えしていたのですが、先日、自閉症協会愛知県支部父親部の方達と飲む機会があった時にもその話が出たので、やはり書いておきます。
どうも、逆に感じてた方が多かったようです。
この話は、研修中に書いた記事に関連します。
http://koumama.seesaa.net/article/22026717.html
私が思っていた「地域生活」と佐々木先生がおっしゃっていたそれとに大きなズレがあることを、私はこの時点では気づいていませんでした。
「全ての方が地域で暮らせる」と佐々木先生がおっしゃったので、NCでは殆どの自閉症者が(最重度の方も)地域で暮らしているのかと思っていたのです。
そして、一体どうやったらそんな事が出来るのかを知りたいと思いました。
でも、何日見学しても、日本で言うところの「地域生活」をしている例に行き当たらないのです。
「地域生活」とか「自立生活」という概念自体に日米で大きく差があると確信したのは実は視察のかなり後半のことです。
CLLC(生活訓練センター)を見学した後、私は佐々木先生にこうくんが地域で生活できるようになるために、これこれこういった交流活動をしています、というような投げかけをしたのです。
居住地校交流や子供会や地域行事参加の様子などをお話ししました。
そういったものにCLLCの入所者は参加していないと言っていたので、なぜだろうと思って。
佐々木先生は
「彼らがそういった刺激を望むと思いますか?私は思いません。」ときっぱりおっしゃったのです。
いくら佐々木先生がきっぱりおっしゃっても、ここで引き下がるわけに行かないのです。
そこを確かめに私はアメリカくんだりまで来たのですから。
帰国してからの5年間で、私たちが住んでいる地域がとても理解ある場所になりつつあるのは事実なのです。
でも、当のこうくんが地域行事に参加することに決して乗り気な訳でも大喜びしている訳ではない事に私は気づいていました。
運動会でも交流会でもディキャンプでも、こうくんはスキを見つけてはブランコや砂場に走ります。
地域は確実に暖まって来て「歓迎♪」ムードなのに、こうくんが置いてきぼりになっているのです。
この状態で、この先どう進めばいいのか。
先が見えなくなっていました。
「地域との交流を息子さんは本当に望んでいるのですか?
望んでいるのはお母さんでしょう?」
だって
やってみなかったら、望んでいるか望んでいないか分からない。
経験したことのないものを選ぶなんて出来ないのだから。
それに
いくら彼が望んだって、砂や泥や水やブランコやトランポリンや・・・
そんなものだけで一生過ごすわけにはいかない。
理解がなかったら地域でなんて暮らせない。
そんな思いがぐるぐると回って、でも、実際にこうくんが望んでいない事は分かっていたので泣けちゃったのです。
最重度のこうくんが地域で暮らすなんて、やっぱり無謀なんだ。と思ってしまって。
ホントはそういう事じゃないんだけど。
本人が望んでいないなら、ちがう暮らし方があるのだ。
頑張って、頑張って、みんなに理解してもらっても、本人が望まないことだってある。
頑張ってカード作って使ったって本人が必要としていない場合だってある。
そういう事だ。
昔見たドキュメントの1シーンがよみがえってくる。
「ゆっぴぃ」に一生懸命スプーンでバリウムを飲ませている石井めぐみさん。
「ごめん、ごめん。かなり誤嚥してる。もうやめよう」という医師の一言。
ゆっぴぃへの経口栄養の可能性がなくなった瞬間。
顔を覆い、泣き崩れながら「大丈夫、すぐ復活するから。大丈夫だから」
そんなシーンだったと記憶している。
頑張っても、頑張っても無理なことは・・・ある。
理解は広まるように深まるようにこれからも交流はする。
カードだって作る。
でも、こうくんに無理はさせない。
親の思いは押しつけない。
自然に暮らしていて、本人が望む方向に。
「地域で当たり前に暮らす」という最近の地域福祉業界で流行のフレーズ
これは
一般の人たちが「当たり前」だと思っている暮らしじゃなくて
本人が「当たり前」だと思っている暮らしでなきゃいけない。
私はそこを間違えていたんだ。
こうくんにとっての「当たり前の暮らし」を
これから見つけて行くんだ。
一軒家とかアパートの「ケアホーム」に住んで日中はディか作業所みたいな日中活動の場に通って、土日はヘルパーさんと出かけて・・・
そんな親が勝手に思い描いた「暮らし」を押しつけない。
まるで、それが障害者の理想的な生活なのだ!みたいに思いこんで、それを実現するためにはこれが出来てないとダメだからと必死で頑張らせてた。
人里離れた山奥で炭焼きしてる人や陶器を焼いてる人だっていれば、都会のマンションの一室で株式投資を生業にしている人もいる。
人それぞれの「暮らし方」があるのだから、こうくんにはこうくんの暮らし方がきっとある。
そういう大切なことを教えて頂いたのです。
こうくんは、おそらく「一般的な」障害者ではないので、かなり個性的な日常を送ることになるのでしょう(笑)
この記事へのコメント
かあこ
あたしも息子はこうなれば...みたいな
あたしの気持ちを押し付けてる部分が
あるなぁ...。まだ全然先が見えてこない部分もあるけど、こうままさんの記事を読んで、本人が「当たり前」だと思っている暮らし...。納得です。
考えさせられました。
そうえいば、石井めぐみさん、9/30に岡崎に講演にいらっしゃいますね。
演題は子育ては十人十色だそうです。
しーまーかあ
まー
NC報告ありがとうね。行きたいけど行けない私としてはとってもありがたいです。
こうままの号泣した気持ち、なんとなくこんな感じかなとイメージできたよ。親もいろいろやってわかることあるとおもうな。
本人が望む人生。これって障害関係ないとおもう。でも、日本は歩めてる人は少ないんじゃない?
うちの娘は2人とも本人が望むことで生きてます。
あきちゃんの生活なんて、なかなかのモンですよ。^^
今年はATACこないの?
まーは昨日申し込みしたぞ~。
さと母
自閉ちゃんを、中学の障害児学級に送っていって今、コーヒーでも飲もうかと思いつつ、パソコンを開いています。
涙が今止まりません。
上手く書けないけれど、こうままさんは、なんて、きちんと表現される方だろうと。こんなに自分を見つめて、分析して、それを自己消化して、これほど、かけるなんて。
我が子も、おそらく、ケアホームやディサービスという未来は、彼の望む世界、平和に生きる世界ではないと思っています。養護学校という選択も、小さい子の叫び声や泣き声が多すぎるという理由でしなかったのですから。
上手く、まとめられません、でも、こうままが表現したことって、すっと響いてきたので、思わず書き込みしました。
さと母
ha-c
この文章(報告5も含めて)を書くのに、いったいどれだけ、こうままさんの中で消化しなければいけないことがあったのかと思うと・・・本当に書いてくれてありがとう!たくさんの人に伝えてくれてありがとう!と心から思います。
「望んでいるのは本人ですか?親ですか?」
この言葉を、私自身の口から何回発したことだろうか?
でも、私自身息子に親の思いを押し付けていないのか?と言われると、確実に押し付けています。
今は本人からの要求がかなりきちんと伝わるようになったので、そんなことも減っただろうと思いますが、過去は押し付けっぱなしだったと思うし、今でもそうせざるを得ない時はどうしてもあります。
中2の息子・・・高校進学を現実として考えなければいけない時が迫っています。
多分、一般的な自閉っ子とは反対で、本人の希望が“普通高校”(でもそこに待っているであろう現実は何もわかっていない)、親はやっぱり“養護学校”だろうと思っています。
ただ、外部刺激にめちゃくちゃ弱いので、大人数の養護学校は返って落ち着かない環境なのです。
「望んでいるのは本人なのか?親なのか?」
例え本人が望んでも、叶えてあげられないこともあるのかなぁ?
難しい~~!ハゲそう~~(笑)
ぷみはは
こうままさんの文章を読んでいて頭の中がぐるぐるいろんなことを思い出したり考えたりさせられました。
「地域交流」は本人のためだけではなく家族みんなのためにしてきたような気がするなあと自分の中で再認識できたような気がします。
息子(養護学校の中3です)が小さい時はなるべくオープンに付き合うほうが、お姉ちゃんものちのち楽かなあとか、息子本人の存在を知っておいてもらえば外で何かあったとき「こんなことあったよ」と気にかけてもらえたり、危ない状況を止めてもらえることもあるかもしれないし。それって大人になってからもとくですよね。子どもの時からどういう子かわかっていれば、変に警戒されることもないのではないかと思います。実際挙動不信な大人の人を見かけると、障害故なのか本当に怪しいのか判断つきませんものね。
親も周りに理解してもらえれば、気軽に声を掛けてくださる方も増えて、白い目でみられることも減るわけで気持ちがとても楽になりますし。このことは、地元の小学校へ通っている時に実感しました。
こうままさんのおっしゃるように本人に無理のないようにでも可能性は信じつつ、そして家族の気持ちにも無理をし過ぎないようにバランスをとりながら…ということなのかなあと自分の中でまあるくつながったような気がしています。
それにしても、こうままさんの文章はほんとにまとまっていてわかりやすいですね。
私の中で今までの問題がひとつ消化できたようでうれしいです。
ありがとうございました。
パックン
今日、メールボックスの整理をしていたら、こうままさんのメールが迷惑メールにまぎれて発見されました。
多分MLの件での内容だと思います。
お返事もせずに本当にすみませんでした。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
話変わって・・・・、
私も「地域での生活」に、ここのところやや疑問を感じ始めていました。
こうままさんの抱く疑問とは違うのかもしれないですが、
>地域との交流を息子さんは本当に望んでいるのですか?
と、
>まるで、それが障害者の理想的な生活なのだ!みたいに思いこんで、それを実現するためにはこれが出来てないとダメだからと必死で頑張らせてた。
この2つのフレーズにはかなり反応!
対極な位置にあるように感じますが、両方とも今私が結構熱く考えていることかもしれないです。
特に後者の状態・・最近この状態が、よからぬ方向に行ってしまいそうな気配を感じることがたまにあるのです。
*こうままさんのことではないですよ*
子供の思いを伸ばして、親子共に成長していくというのは、良いことだよなあと思うし、
親は、子供の思いの「きっかけ」を作るために動くというのは(地域交流も広い意味では「きっかけ」になると思う)
子供の支えにもなって、とても良いことだとは思うのですが、
行為が発展しすぎて、その思いを見失っていらっしゃる方もいるような。
本当の目的は、なんなんだろう?って・・・。
子供は親の所有物じゃないもの。
なんだかまとまり無くなってきちゃいましたが、地域が全て・・みたいに言い過ぎてはいないかしら?と感じる時もある私です。
もちろん、地域を大事にするのは良いことなんです。それは大前提で。
しつこいようですが、↑こうままさんのことではないです。
なので、
>人それぞれの「暮らし方」があるのだから、こうくんにはこうくんの暮らし方がきっとある。
これにはかなり賛同!!
人の幸せは、その人が決めるもので、他人が決めるものじゃない・・と思います。
しかし、こんなこと書いてますが、
親になると、人格変わるんですわ>私
親になったとたん冷静になれない・・反省の日々。
はは亀
すでに先輩からコメントが入っていますが(^^)
こうくん同様、とても個性的な、子亀君ですので、ふむふむ・・・と読みました。
どうなるのかははっきりわかりません。子亀の将来。でも、与えられたものに本人が入るかどうかも本人が希望しない限りわからない。ただただ、私がしなきゃいけないことは地域理解くらいかな?
って言っても本人が行きたいと思ったお店とかにね。
子亀が中学部に入り方の力が抜けたというか、こうくんが通ってきた道を(小学校時代)子亀はもう通ってしまっているから、その辺の年の功??と言うか、、、
本人が希望しない時は表情硬いですよね。
噛んだり叩いたり、オーバーアクションだったり。
常に発信しているこどもちゃん。
お互い楽しく支援しようね(^^)
REIKO
こうままさんは本当に正直に生きている。そして真っ向からがんばっていると思います。本当に頭が下がります。
話はそれるかもしれませんが、毎年ATACカンファレンスに行くと、障害って何?本人を真ん中にして、いかに楽しく生きていくか、そのためにどんな支援ができるか?って言うのを、シンプルに本人中心で考えることができます。
だから、毎年京都へ行って、自分の感覚を洗いなおしてくるの。1年たっていくうちに、どうしても「自分のラクな感性」に偏っていくからね。(*^_^*)
今年も家族3人で行くよ~>まーさん
1年ぶりに逢えるね。
日本と言う国、県、市、町で住んでいるということは、自閉症の彼らにも、彼らにわかる形で「ルール」があることを伝えなければならない。その「ルール」を守ろうとする努力をしている姿を周りの人に見てもらい、知ってもらい、そして相互関係として、彼らの文化も知ってもらう。
それって大切だと思います。
そのことを念頭に置いた上で、「本人を中心にした生活」を考えていけばいいのではないでしょうか?
私はノブに無理はさせたくない。
彼の望むスケジュールを実現化してあげたい。彼の望む将来に近い状況を作り出してあげたい。
そのために、周りとの関係を良くしておくわけです。「ルール」を守る努力の姿勢ってのもそのひとつ。
本人中心で生きていっても、決して本人一人で生きていけるわけはないのだから。
「彼が心地よく暮らしていくために…」
地域開拓を考えるときの基本はこれでしょう。
ゆっくんママ
望んでいるのはお母さんでしょう?」
この問いに対する答は親御さんそれぞれだろうねえ・・。
環境だってそれぞれだし・・。
私は早くから辛がっている(聴覚過敏という言葉は後で知った)息子を大集団に入れちゃいかんのだ・・と思ったけど、こうくんの校区の学校は理想的な環境だし・・。
「実は我が子はどう思ってるんだ?」とフィードバックしながら子育てしている人って、それほど多くないかも知れないね・・。
でも、それこそが一番大事なことだと思う。
答えを本人が出してくれるまでは、親が「こうかかも知れない・・。」という方向に進んでみるのは大事かも・・。
もしご本人の意向と違っていたら、いさぎよくターンできる柔らかさがあればいいのではないかしら?
たかまま
たかままと申します。いつもこうままさんのブログを読み逃げしておりました。
が、今日の記事はとても心に響くものがあり、勇気を出してコメントさせていただきます。
うちの息子(タカ・小4)は重度の知的障害を伴う自閉症です。今は養護学校に通っていますが、私もいわゆる「地域活動」への参加はしています。居住地校交流、子ども会etc.
息子について知ってもらいたい。
これがスタートでした。無知は偏見を呼び、偏見は差別を誘発するからです。
でも息子は「地域活動を望んでいるのか?」はう~むハテナ?
でも少なくとも「行きません」ではない。
わかるように、楽しめるように、支援をした上での地域活動なら「行きたい!」とまでいかなくても「ま、行っといたろか」くらいに思ってもらえるかなぁ~と。
ごめんなさい。なんだかよくわからないコメントになっちゃいました。
これからも読み逃げさせていただきます。
よろしくおねがいいたします。
あ、ここにカキコなさっている先輩方、今年も京都でお逢いできるのを楽しみにしてますっ!
私は、『地域交流』が苦手です。
「地域で普通に暮らすために親御さんがどんどん交流してください」「お子さんの将来のために地域活動に貢献してください」児相、区の福祉課や民生委員、町内会で繰り返し言われました。
新居を構えたばかりの知らない土地で、息子が多動ぶりを発揮し、私達はいきなり『地域交流』の出鼻をくじかれました。自閉症の診断を受けた直後で知識もなく全てが後手に回る右往左往の中、上記の言葉を聞きました。「息子のために」という一言で、夫婦で懸命に地域の活動に参加しましたが長く続かなかった。親が熱心に活動すれば、確かに息子の困った行動を大目に見てもらえた、でもそれは決して子供を受け入れてもらった訳ではありませんでした。
地域にやみくもに受け入れてもらうんじゃない、息子を中心にした無理のない私達の暮らしを受け入れてもらう…これを大前提としてこれまでの生活を見直しました。
・地域で暮らす上でやってはいけないこと、間違ったことを息子に「ルール」と して教える。
・息子と暮らす上で分かり易い指示、適切な支援が「ルール」として必要であるこ とを地域に理解してもらう。
2つのルールの接点が息子に必要な『地域』であるという基準を設けました。基準がズレないために、REIKOさん(勝手にお名前を引用してスミマセン)が上記で仰っていますが、つい偏ってしまう感覚を修正するための機会を持とうと心がけています。
『地域交流』が苦手な理由がもう1つ。
こうままさんも書かれている様に、福祉の世界で「障害者が地域に戻って普通の暮らしをする」という動きに?なのです。
『地域交流』『自立支援』という名のもとに必要なものまで削ろうとしてはいないか、つい穿った見方をしてしまいます。
すみません、余計なことを書きましたが、新しい法の実施を目前に、しっかり見極めていかなければと日々学びの連続です。
最後にこうままさん、このような場をいただいてありがとうございました。
ほし
まっち
地域交流・・・。
みなちゃんにとっての今のところの地域交流は余暇支援活動のきらりん★に地域のボランティアの方々に来て頂いて一緒の時間を過ごすこと。今ちょっと電車に乗らなくなっているのでガイドさんと近所を歩きながらバイキング焼き肉とかコンビニお買い物とか私とスーパーに行くとかそんな感じです。6年間地域の学校で頑張らせてしまって調子が悪くなってしまい、6年3学期からゆったりした養護学校にかわったという経験から今思うのは「逆統合」という考え方です。6年間の経験が無駄だったとは決して思いませんが、今はみなちゃん自身が余裕をもてる環境の中で、心構えのある方々との交流が無理なく楽しめる気がします。少しずつそんな方々をふやしていくつもりです。みなちゃんとともに学んだ子どもたちの中から将来きらりん★に関心のある方が何人かでも出てきてくれるといいなと思ったりしています。
masudachan
久しぶりにコメントさせていただきます。
こうママさんのblogを拝見していてただひと言「がんばっているな~ぁ」と思っておりました。
私のblogは最近、卒業後の生活を目の前にして泣き言ばかりです。
「地域で暮らすってどういうこと?」
日々自問自答しています。
私が頑張れば頑張るほど、「それを徹兄本人は望んでいるの?」「親がやりたいだけじゃない?」「親の自己実現に障がい児を巻き込んでいるだけなんじゃない?」「親のエゴだよ・・」という声が聞こえてきます。
でもね、こうまま、
おっしゃるとおり『やってみなかったら、望んでいるか望んでいないか分からない。
経験したことのないものを選ぶなんて出来ない』のです。
私も同感です。
先輩お母さん方には「あなたはまだ若いから・・」と言われます。(若くはないんだけど・・)
たぶん今私が必死でやっていることの大半は、後で振り返れば無駄になるかもしれません。
でも、そういう無駄が土台になって徹兄やこうくんたちの望む暮らしが見えてくるんだと思います。
先生のことばから謙虚に学ばれたこうままは、やはりスゴイと思います。
地域で生きるって、どんなことなんでしょうね・・。
ルナルナ
おひさしぶりですm(__)m
こうままさんの日記を読んで涙が出てしまいました。佐々木先生のおっしゃることは長年自閉症の子供たちと関わってこられた経験から出たのでしょうね。これは一当事者として納得してしまいました。親御さんとしては「どうして?」という気持ちでしょう。私も自閉ちゃんの親ですのでわかります。
私たち自閉症の人たちは日々食べたり寝たり。。。といったごくごく当たり前のことがサバイバルなんです。一歩外へ出れば辛い辛い刺激が待っている・・・耳障りな音、変なにおい、嫌なのに視界に入ってくる物、何を言ってくるかしてくるかわからない「ヒト」。。。大人になって慣れてきたものもありますが、やはり辛い事には変わりありません。
「こういうことをしてくれたら生きやすいのに」「ぼく(私)は辛くてたまらないのにどうしてそんなことするんだ!」というモヤモヤを抱えながら生きているんだと思います。それを言葉で表せないから「パニック」という形ででてくるんでしょう。言葉の遅れのない私でさえ要領よく話すことができないでいます(大人でさえも。。。ね)。
すみません、えらそうなことを書いてしまって。こうままさんは既にご存知のはずなのに、「地域で暮らす」をスローガンに頑張ってこられたのに。。。
人それぞれ暮らし方があるし、幸せのカタチだってある。「亀のような歩みでもいいじゃない」と思えるようになったのはつい最近。長男を授からなかったらわからなかったことです。長男のおかげで「本当の自分」に気づいたのだから。。。長男にとって「暮らしやすい」環境とは何ぞや?私たちもその壁にぶち当たっているところです。長男には私のような「二次障害」に苦しませたくないですから。。。
長くうえに支離滅裂で申し訳ありません。
masudachan
事後承諾で申し訳ありません。
しまなみ
2006年、高齢者・中途障害者を中心としたリハビリの世界も、正に、地域で暮らす、職場・在宅復帰を金科玉条に挙げていました。その輝きの中で、私はリハビリの職を選びました。そして、介護保険が始まりました。
今は、リハビリの世界に、あのころの熱はありません。必死でやってきた人たちが、いわゆる孤独死をしています。世の中の振り子が大きく動く中、どれほどの人が苦しんだのだろう、と思います。功もあったけれど。
その時代の光に見えるものを、よく吟味なさった記録だなあ、と思います。
2012年現在、本家TEACCH部は解散してしまうかもしれない、とのこと。しかし、その理念と技術はたんぽぽの綿毛のように世界に広がり、当時結婚することすら予想もできなかった、自閉症圏のコドモを授かるとも知らなかった私にも、届いています。
次の6年には、何が見つかるのでしょう…。
こうまま
この記事を書いてから、もう6年もたつんだなぁと改めて、時の流れの速さを感じます。
この6年で、私自身、本当に多くの事を学びましたし、世の中も変わりました。
そう考えると、何か、元気が出てきます。
コメント、ありがとうございます。