プリントアウトしてじっくり読んでいます。
一人一人にお返事できないので、新しく記事を書きます。
普段500~600のアクセスが、昨日はなんと800を超えました。
最高新記録なのでびっくりしています。
まず最初に。
前回の記事は、地域交流の是非について書いたのではないので、その点は誤解しないで下さいね。
日本において、障害者の事を地域の方に理解して頂くのは障害者が生活していく上で必要不可欠なことです。
『障害者はある一定の割合で生まれてくるのだから、社会全体で守るのが当然』だと考えるアメリカとは文化が違います。
「うちの子が障害児じゃなくって良かった」と「うちの子が障害児だったかもしれない」の違いです。
アメリカでは、理解してと叫ばなくても、さりげな~く理解してくれます。
「こうくんは自閉症なの」「まぁ、そうなのね。それはそれとして、彼ってハンサムよね(But He is Beautiful)の世界なのです。
まずは、住んでいる地域をそこまでとはいかなくても、障害があってもいいじゃない、のとこまでもっていきたいですよね。
となったら、やっぱりイロイロとアクションは起こさないとダメです。
ただ、そのアクションと本人の地域交流とは全くの別の話なのです。
本人にとっての地域交流は、「その人なり」の交流の仕方でいいのであって
こちらが「こういう交流」と決めるものじゃない。
交流の最中にブランコに走るこうくんを「あ~あ」と思うのは親のエゴなのですねぇ・・・(遠い目)
こうくんが散歩してる時に花を摘んじゃうから毎回謝りに行っていたら、次の年は球根モノは石垣の上に移してくれて、道沿いはマーガレットオンリー。
「いっくら摘んでくれてもいいでね~」と言ってくれたおばさん。
こうくんがいつも買い物に行っている茅葺き屋敷の売店に自閉ちゃん3家族で行って「こうくんのお友達なので・・」と言ったら、にっこり笑って「おお、大歓迎だぞ~」と言ってくれたおじさん。
そういう理解のある地域になったのは、こうくんがいたからで、それはとってもスゴイ事だと思うのです。
そういった、日々の積み重ねが「地域交流」の本質なのじゃないかなと思うのです。
地域行事への無茶な(笑)参加とかじゃなくて・・・ね。
私はこれからも
自閉症理解のための授業や現職研修や市民公開講座は喜んでお受けしますし
あいちキャラバン隊のフォローもさせて頂くし
自分でも仲間募ってキャラバンもします。
まずは「自閉症?ああ、そうなのね。はいはい。」の地盤を作りたいですから。
私たちの子どもの地域生活はその地盤がなかったら成り立たないですものね。
この記事へのコメント
ha-c
皆さんからコメントにも熱い思いがあり、昨日は何度かアクセスさせていただきました。
でもハタと、“地域交流”についてとても盛り上がっていて、それとは全く違うコメントを自分が書いてしまったことに気付きました!
今さらそれを消すこともできず「どうしよう」と一人で焦っておりました(ToT)。
今日のブログを読んで、ちょっと安心♪
(でもやっぱり外れてましたか?)
“地域交流”について、こうままさんのように上手く書けませんが(本当にこうままさんは、文章を整理して伝えるのがとってもお上手!)、私なりの仕方をブログに書こうかなと思っています。
こちらをリンクさせてもらっても良いでしょうか?
パックン
今回のことは、何と言うか・・一歩引いてものごとを見れた、と言うか「深呼吸」出来る記事だったと言うか・・。
本当に貴重な時間をいただいた気がします(感謝♪)。
お子さんも、その子なり・・ならば、
親御さんだって、その人なり・・って、
私はアリだわって思います。
親もありのままで良いのではなかろうか??
もっともっと言ってしまえば、親子で自然体で暮らしているその姿だけでも「地域交流」になると思ってます。
こうくんが、こうくんのスタイルで花を摘む。
その姿がもう、地域交流になっているような。
>地域行事への無茶な(笑)参加とかじゃなくて・・・ね。
そうですね・・・「頑張る」と「無理」を履き違えちゃうと、きっと疲れちゃいますよね・・・。
こうまま
コメント、ものすごく嬉しかったです。
活動してるからこそ分かるものってありますよね。
動いてる故の悩みというか。
すごく分かって下さってると思ってウルウルしてました。
ありがとうございます。
リンクの件、大歓迎です。
宜しくお願いいたします。
◇パックンさん
親子ともにありのまま
その通りだと思います。
障害児の親だからという理由で全ての自閉ちゃんのママが教室で自閉症理解についての授業する必要なんて全然ないし(爆)
「自分らしい」かかわり方とか貢献の仕方が「自然」に出来たらいいのだと思います。
無理せず。諦めず。(何か自分に言い聞かせてるかも・・・笑)
ひろみママ
お久しぶりです。ブランコのひろみママです。
今回の一連の記事、涙ぐんでしまいました。
わたしが思うのは(今のところ我が家に合ったやり方かな と思っているという意味です)、
“地域の地盤作り”と“本人の地域交流”は、全く別物にした方がいいのかな ということです。
本人が地域交流を楽しめるための地盤作りを私が先にやっとかなくっちゃ・・・
ってことです。
今は限られた小さな世界の中で、
限られた人からの支援を受けながら
少しずつ少しずつルールやマナーを学んでいってもらって、
その一方で地域に理解してもらう活動をしていきたい
(それは本人ぬきでも不可能ではないと思うのです)。
そして、両方の折り合いがついたところへ、本人を送り出す・・・
そうやって、どこまで子どもたちの世界が広がるのかはまだまだ分かりませんが・・・
もしかして、ものすごーくズレたこと言ってるかもしれません。
そうだったらごめんなさい。
でも、ずーーーっとずーーーっと
「統合」という言葉に悩んできたのですが、
やっと自分の中で納得いく答えが出たような気がします。
こうままさん、ありがとうございます。
こうまま
私もほぼ同じ考えです。
地域に障害を理解してもらう事と、本人の地域参加は別物ですよね。
こうくんはおそらく地域参加を楽しめるようにはならないと思いますが、地域の方達はこうくんを暖かく見守ってくれると思います。
地域社会で理解してもらう活動は思い立った者がやっていく「草の根活動」だと思っています。
小さな理解の輪がいくつもできて、それが接して重なっていく・・・そんなことを夢見ています。
H.Suzuki
前々回 前回の記事も含めて、わが身に照らして読ませていただきました。
今やっていることは果たして・・? という思いはいつでもあり、右に行ったり左に行ったりしながら日々地域での取り組み(障害理解と地域参加の両方)を考え、やっています。
こままさんが書かれた
「そういった、日々の積み重ねが「地域交流」の本質なのじゃないかなと思うのです」
という言葉に共感します。「地道」とか「積み重ね」といった言葉は、やってきた者にしかその重みはわからないと思うのです。
これからも、私は悩みながらも「積み重ね」ていくつもりです。
ほし
つぼみパパのブログで拝見しております。
>今やっていることは果たして・・? という思いはいつでもあり、>右に行ったり左に行ったりしながら日々地域での取り組み >(障害理解と地域参加の両方)を考え、やっています。
深く頷きながら読みました。こうままさんもですが、経験の豊かな方でもこのような思いをなさっているんですね…
刻々と変化するこの社会は生やさしいものではなく、どう「地域参加」し「障害理解」を得るか具体的な方法を明示されたものはありません。一方で、歯切れのよい「地域交流」「障害理解」には異論を唱えにくいところがあり、危うさを感じる場合もあります。
私は保護者であり、支援者でも事業者でもありません。
自分のやっていることが正しいのか誤っているのか分からない、分からないけど必要だったらやる…未だに足がすくむ思いをして飛び込む所もあるけど、人生が続く限り、この姿勢は持ち続けていこうと思います。
H.Suzukiさんのコメントを読んで、再認識しました。
こうまま
コメントありがとうございます。
書いて良かったのかと、少々後悔気味でしたので、とても救われました。
私も地道にこつこつ、きっとこれからも悩みまくりながら積み重ねていきたいと思います。
一緒に進みましょう。
◇ほしさん
きっと地域性もあると思います。
都会でのやり方と田舎でのやり方は全く違うと思うし。
私も初めてこうくんの事を書いたチラシを地区の運動会で配った時は足が震え、手が震え、渡されたマイクを受け取ることができませんでした。
一言も話せなかったのです。
でも、5年前のあの一歩があったから、今があるのだと思っています。