こうくんの願い

昨日、今日と県のサビ管等研修でした。
利用計画や個別支援計画の部分で何度も繰り返される「本人のニーズ」「本人主体」
支援計画は本人の「こんな暮らしがしたい」をかなえるためのもの。
その通りだと思います。
私も2月のアメニティーで相談支援員さんたちに「本人や家族が一緒に見つめていける計画をお願いします」って言いました。

こうくんは、どんな暮らしがしたいんだろう。
学校に行きたくないっていうのは、これでもかっていうくらい良くわかった。
身体全体で拒否していたものね。
こうくんが通っていた高等部は、こうくんにとっては学びの場になっていなかったから、私も無理して行く必要はないと思った。
だから、学校はやめた。
で。
これから、こうくんは社会人としてどういうオトナになっていきたいんだろう?
どこで、何していきたいんだろう?

最近のこうくん。
オレンジでは「うわぶた作業」が好きで「ドヤ顔」で作業しているらしい。
ゆうでは出来る作業や活動をあれこれ試しているからちょっとイライア気味。
土日はどんな風に過ごしたいのかなぁ。(行動援護、いつから再開したらいいかなぁ)
この先、どこに住みたいのかなぁ。

私の中では、
数年後にはオレンジの近くのケアホームに住んで、日中はオレンジに通って土日は家に帰ってくる、みたいな生活がこうくんにはいいんじゃないかって勝手に思ってます。
家からオレンジは遠すぎるから、このままずっと送迎するのは無理だっていう物理的な事情もあります。

でも、多分こうくんはそんな風には思っていません。
私とずっと一緒に暮らしたいと思ってると思います。
こうくんは、私のことがだ~~~い好きなので。
これは親ばかではなく、こうくんの行動からそのように推察できるのであって、周囲の誰もこのことに異を唱える人はいないと思います。

もちろん、私のことが大好きなのは「お母さんだから」ではありません。
私が「自分のことを最も理解してくれている人」だからです。
だから、私以上にこうくんのことをわかって上手に対応してくれる人が現れたら、何の躊躇もなくこうくんはその人に乗り換えるだろうと思います。
私もそれを望んでいるのです。
私には私の人生があるので、成人した息子にしばられたくないですから。
はやく、そうなるといいなぁ。

とはいえ、すぐにはそうならないと思うので
こうくんは、この先しばらくは私とこの山奥で暮らしたいと思い続けるであろうと予想されます。
でも、現状では、こんな山奥で福祉サービスの利用はできないのです。
住む場所は「町」じゃないと無理なのです。

よく「住み慣れた町で当たり前に暮らす」って言いますが(今日の研修でも良く出てきました)
こんな山奥に住んでるこうくんが「住み慣れた町で暮らす」ことはできるんでしょうか?
私たちと一緒にこの山奥で暮らすことはできるんでしょうか。

2日間の研修を終えて
そんなことを思いました。

こうくん、どんな暮らしがしたいのかなぁ・・・・


<追記>
ふぃ~る工房のあらいさんが、ステキなコメントを下さったので、コメント欄も是非読んで下さい。



この記事へのコメント

  • nobamin

    住み慣れた町で暮らす。理想です。
    我が家は只今,小学部2年生。学校までは車で1時間。
    事業所は遠く、それでも楽しんでいるので、週1回利用してます。買い物も遠い、病院も遠い。ここで、ずっとは無理なんだろう。と、私も感じてます。
    これからの私の課題です。
    2013年09月07日 15:45
  • 一本釣。

    本人がなるたけ分かりやすい環境のところが彼らの心のふるさとなんでしょうね。
    2013年09月07日 17:58
  • こうまま

    ◇nobaminさん
    はじめまして。コメントありがとうございます。
    学校まで車で1時間・・・往復の送迎で4時間ですね・・・。
    私は家からこうくんを送って職場までが丁度1時間なので少しだけ想像できますが、おそらく、日本に住む殆どの方がこういう生活は想像できないと思います。
    大抵の制度は中央で作られますから、私たちの生活とはかけ離れていますよね。
    これからもずっとここに住み続けていけるのか。
    私にとっても大きな課題です・・・・。

    ◇一本釣り。さん
    こうくんにとってわかりやすいところ。
    なるほど。
    そういう視点もありますね。
    ありがとうございます。
    2013年09月07日 19:48
  • あらい

    こうままさま

    あらいが18歳の時は。それはまぁ、残念な人間でした。家族は勿論、たくさんの人に迷惑を掛けて生きていました。しかも、何とも感じず。悪いこととも思わずに。

    当然。将来のことなんて「これっぽっちも」考えたことなどなく。「今が楽しけりゃ、それでいいのさ!」って生きていました。周りの大人は、そんな あらいの、あれこれ心配してくれ、たくさんアドバイスをくれました。が、それでも「今」しか考えてませんでした。否、考えることが出来ませんでした。

    何十年も、生き方は変えられませんでしたが。なんかの拍子でこの仕事に就き、この世界の仲間に魅かれ、この仕事のステキさを教わり、本人の生きづらさを知り、ご家族の思いを知り、そして同志が出来、生きる目標が出来ました。ようやく。いい歳こいて、ようやく将来を考えることが出来ました。


    こうくんも。たぶん、今、自分の将来のことなんて考えてないんじゃないかなぁ。たぶん、もともと先のことを考えるのがスキじゃないっていうか、苦手というか。


    だから。愛する我が子のことを、今、一生懸命考えてあげている。ただ それだけでいいんじゃなのかなぁ。きっと、答えなんて出ないと思うけど、否、絶対でないけど、それでも一生懸命考えてあげるだけで。きっと、こうくんは、そんなお母さんだから大スキなんだと思います。

    あらいがガキの頃は、「心配している」と言ってくれていた大人が信用できず、残念な人間でしたが、今は支えてくれる人の言葉を信じることが出来ます。



    こうくんにもきっと。大スキなお母さんよりも、もっともっとスキな人が出来ますよ。こうくんのことを、愛してやまないおかあさんよりも、もっともっと愛してくれる人が現れますよ。そんな日がきっと来ます。

    だから。今は、その日を信じて、こうくんを力一杯愛して下さいね。抱きしめて下さいね。こうくんが、たくさんの経験をした後「オッカア。オレ、生き方みつけたぜ。」って訴えてくるその日まで。

    そん時は。バーボン下げて、岡崎の山奥までいきますよ。で、吐くまで飲みましょう。
    2013年09月07日 22:44
  • こうまま

    ◇あらいさん
    そうでした!!
    こうくんは、まだまだ若いんだから
    これから先、きっと私より好きな人が現れますよね。
    それを期待しよう!!
    (ブログ記事、1行書き替えました)

    私も18の頃は、そりゃぁもう・・・バブル全盛期でしたから・・・(とてもココには書けないわぁ)
    30後半で自分の役割もらって幸せな今があります。

    こうくんも
    いっぱい経験して、ゆっくり探していけばいいんですよね。

    ありがとうございます。
    すっきりしました。
    2013年09月08日 16:38
  • こうまま

    そして、途中で「進路変更」したっていいんですよね。
    私も随分と変更&変遷してきたし(苦笑)

    今、こうくんんはは
    ゆうとオレンジで過ごすのが幸せそうだし、自宅にいるのも好きだから、数年はこれでいいや~。
    10年先とか親亡き後とかばっかり考えちゃうから苦しくなっちゃう。
    「幸せな明るい計画(by谷口先生)」にならなくなっちゃう。
    まずはこの1年、こうくんが幸せに過ごすことを考えよ~。
    2013年09月08日 16:49
  • あらい

    こうままさま

    ス・テ・キ!;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
    2013年09月08日 18:01
  • こでまり

    こうままさんの記事も 他の方のコメントも 何度も読ませていただきました。

    水の中に潜水して万遍の笑みで手を振る息子。
    「お母さん。僕は魚になりたいな。水の上は嫌い。叱られてばかりだから」そう言った息子の言葉を思い出しながら読んでいました。
    海に受け入れられて安心する息子。
    地上にも 貴方を認めてくれる場所はきっとある。それを探すのは 母の役目だと、必死に必死に 駆けずり回る。
    母親と同じだけ、この子を分かってくれる場所を探して。
    今も必死です。
    ゆっくり 今を 生きたいと 改めて感じました。
    2013年09月08日 21:59
  • こうまま

    ◇こでまりさん
    うん。
    ゆっくり生きましょう。
    先は長いので・・・・。
    私も、ちょっと焦ってましたが、焦っても何もいいことないですもんね。
    まずは、「今の幸せ」からですよね。
    2013年09月08日 23:22
  • しまなみ

    >私のことが大好きなのは「お母さんだから」ではありません。
    私が「自分のことを最も理解してくれている人」だからです。
    だから、私以上にこうくんのことをわかって上手に対応してくれる人が現れたら、何の躊躇もなくこうくんはその人に乗り換えるだろうと思います。
    私もそれを望んでいるのです。
    私には私の人生があるので、成人した息子にしばられたくないですから。

    私の言いたかったことを、お母さんの大先輩に言葉にしてもらって、すごくうれしいです。生まれて4年して、ようやくムスメは人への愛着を行動や表情で示すことができるようになりました。ムスメが私のコドモになってまだ0年なのかもしれません。10年単位で愛着を育てていくことになるでしょう。でも、でも、私の子育ては、そこがゴールじゃない。何のためらいもなく{あ、お母さん、そんな人もいたね。}と駆け出す日を待っています。
     今もしあわせ、みらいもそれぞれ幸せでありますように!
    2013年09月19日 12:21
  • こうまま

    ◇しまなみさん
    こうくんが人への愛着行動を示すようになったのって、多分小学校2~3年生くらいだったと思います。
    ゆっくりゆっくり成長している分、楽しみもゆっくり長く味わわせてもらってるな~って思います。
    2013年09月19日 22:50

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