「卒業式」という言葉を聞くだけで、辛いしキツイです。
こうくんは
昨年7月に学校に行くことをやめたので
修学旅行も卒業式もありません。
他に道はなかったのか?と自分に問いかけています。
あのまま高校に通っていても泥沼だったし、今は元気に働くオトナ!になってる訳なので、
やめたことに関しては全く後悔はないです。
でも、
他に出来ることはなかったのか?
とか
もっと早く学校にアプローチできなかったのか?
とか
もっと強く学校にアプローチしても良かったのではないか?
とか
と自問自答しています。
いろいろ考えます。
こうくんの同級生で
同じように学校で激しい不適応を起こして同じ時期に退学した子がいます。
他にも、通えなくなっている子がいっぱいいます。
通えている子がいるから
通えなくなったら「通えない子が悪い」「不適応を起こす子が悪い」と非難されるのは「違う」と思うのです。
日本語しか話せない人にロシア語で説明して
「他の人はわかるのに、アナタはなんでわからないの?」って無能の烙印を押されるのはオカシイですよね。
小学部の卒業式は配慮ある中でとってもいい子で過ごせたのです。
なのに、中学部の卒業式は最初から最後まで押さえこまれて自由を奪われて、人権無視って感じでした。
だから
高等部の卒業式はもっと配慮がないと思うので、参加しなくて正解だったとは思うのです。
でも、なんで、「特別支援学校」なのに、配慮がないのかな?って思うのです。
配慮ある卒業式に出席させてあげたかった
配慮ある修学旅行に参加させてあげたかった
そう思うのは
親のエゴなのでしょうか。
障害が重い子は
我慢しないといけないんでしょうか。
障害があっても、ちゃんとできている子がいるから
出来なかったら「ダメな子」なんでしょうか。
理不尽だと思います。
取りあえず
養護学校の卒業式が済めば
スクールバスの恐怖(見かけるだけで辛くなる)がなくなるので嬉しいです。
学校行事を書いたスケジュール帳を破り捨ててしまったので
養護学校の高等部の卒業式がいつかわからないのですが(苦笑)
この記事へのコメント
たかの
エゴであるわけがありません。
通えなくなっているお子さんが`いっぱい´いることの現実を学校はどのようにお考えでしょうか?
お考えはあるのでしょうか?
「どうしたらいいのかわからない」ことは恥ずかしいことではありません。わからないということに、今そのことに気づかれたなら どうか謙虚になって学びの場へお出かけください。
求めてくれたら こうままさん、協力してくれますよね!?
どう向き合えばお互いの関係が心地いいものになるのかを知り、それを教師が教師として使えるようになったら それはご自身にとってもよろこびとなり、もっと向上していきたいという `お互いが幸せ´ということにつながっていくということにならないでしょうか
mio
エゴじゃない。
取り返しのつかないことされて
傷ついて…
それを責める権利なんて誰にもありません。
時間を戻すことはできないので、
歩んできた道を書き換えることは無理だから
事あるごとに辛かったことや後悔したことを
思い出して言いようのない気持ちに
襲われることがこれからもあると思うけど
それだけひどい目にあったってことなんですよね。
くやしい!
今後「幸せ~」「楽しい~」
と感じられる時間が「ツラい」を打ち消せるくらい
たくさん訪れますように。
そうでないと人生やってられないわよ!
ホンマに(怒)
kakky
3年前の春、息子が高等部を卒業してからいろいろと大変で、こちらのブログを訪れることもできずにいて、こうくんが特別支援学校を辞めたこともついこの前知りました。そして、今日この記事を読んで、激しく共感しています。
一般就労をした息子でしたが、職場の理解が全く得られず、とても苦しい日々を過ごしました。息子から笑顔が消えて、それでも、どんなに辛いことがあっても毎日仕事に出かけて行きましたが、1年数ヶ月後、まだ雇用契約期間が残っている中で、信じがたい理由で「辞めて欲しい」と言われ、仕事を辞めました。その後、1年数ヶ月の訓練と就活の末、昨年12月からA型事業所で働き始めました。
今やっと、息子に以前の笑顔が戻って来ました。でも、息子が通勤に乗っていたバスを見ると、母は胸が苦しくなります。雪の日の通勤にいろいろあったので、雪が積もると息子も母も胸がざわつきます。
息子の笑顔が消え始めた頃から、母は自分を責め続けています。これまでやってきたことが間違っていたんじゃないか?息子を苦しめているのは自分なんじゃないか?どこかで道を間違ったんじゃないか?・・・でも、どれだけ後悔しても、戻ることなんてできないんですよね。本当に辛かったです。
こうままさんのことですから、その時その時、ベストを尽くしていらしたと思います。どんなに言葉を尽くしても、できる限りの手を尽くしても、理解しようとする姿勢がなければ、何も伝わりません。それが現実でした。
こうくんの笑顔が、こうままさんの辛さを癒してくれますように。。。こうくんの辛い出来事を上書き保存できる位の楽しい出来事が、この先たくさんありますように。。。
こうまま
コメント、ありがとうございます。
息子が学校にいる時は出来なかったことができるかな~と思っています。
いろいろ画策中(笑)
こうくんや私と同じ思いをする親子が少しでも減って欲しいと思うので。
◇mioちゃん
うん。ありがとう。
ホント、悔しかった。
これまで、どんな思いで、どんな苦労してココまで積み上げてきたと思ってるんだ!!ふざけんな!!って思った。
積むのは本当に大変なのに、壊すのは一瞬なんだなって実感した。
やめるとき、絶対戻して笑ってやる!!って思ったもん。
◇kakkyさん
その時その時で精一杯考えて出した結論でも、他に方法はなかったのかな?って思ってしまいます。
そして、他の子たちはちゃんとやってわけだから、やっぱり私がダメだったからなのかなって思ってしまいます。
でも、実際は、他の子たちも大きなストレスを抱えながら過ごしていたんだろうなと思います。
学校が変わってくれるといいな~と切に願っています。
ごるご
おめでとうございます。
私は、この子達を不幸にしたら許さへんで!オーラを夫婦で出していたので、学校での問題はほぼなかったと思います。
その分、娘でやりあいましたが…
これから先が長いんです。
働くおとな、かっこいいです。
ななみ
書いてくださったこと
皆さんのコメント
本当に、本当に、心奥深く染み渡ります。
私自身の今の気持ちと
激しくシンクロして書かずにいられませんでした。
バスを見かけると気が重くなります。
あれ以上どうすることができのか
息子を守るためには、これしかなかったのだ
現に今は、息子に「落ち着き」ができたんだ
と、思っても
同じように他のやり方があったのではないか
学校との交渉がもっとうまくできたのではないか
諸悪の根源は、この自分自身ではなかったのかと
自問自答のスパイラルに入り込んでしまいます。
本当に、一瞬で昨日までの積み重ねがなくなってしまいます。
「人権無視」
「理不尽」
がいっぱいでそれが
「当たり前」
になってしまっている・・・
こうままさん、みなさんの言葉をうかがって
「上書き」できる何かをみつけていきたいと
思いました。
でもどうしようもない心の波立ちは
時に激しく押し寄せ
なかなか消えません。
こうまま
うん。
作業服着て「工賃」もらうオトコになりました。
学校、やっと終わります・・・・
嬉しいです。
◇ななみさん
>どうしようもない心の波立ち
消えないですよね。
寄せては返す、まさに「波」ですね。
激しい波が押し寄せてくる瞬間が、これからもあるんだろうなと思います。
ゆうママ
一年間何も支援されずにいた息子。
今までなかった見たくない姿や、そうさせたくないと思っていたことをさせてしまった一年間でした。
大きな声で叱りつけることや、ダメだという方法しか分かっていないような人が支援の先生をやっていることがおかしいと思います。
研修受けています。勉強しています。と、学校から言われても、その研修は全く無意味だったんだろうな・・・と。
安心して過ごせる日がくるといいのですが・・・。
こうまま
まだ小学1年生だもんねぇぇぇ・・・・
先が長すぎて、何て言ったらいいかわからないです。
>大きな声で叱りつけることや、ダメだという方法しか分かっていないような人が支援の先生をやっていることがおかしいと思います。
その通りだと思います。
支援級も支援学校も本当に「担任」の力量に左右されれしまいますよね・・・。
わたしも、昨年の年度末に一生懸命「この先生では無理」と伝えたつもりでしたが、翌年も同じ担任になってしまって、今の結果です。
一体、どうすれば私たちの子どもの人権は守られるんでしょうか。
いらんこと申します
不登校支援室や特別支援教室に金使いすぎ、それより普通クラスに英語の補助教員よこせ、発達障害の問題行動起こす子どもを教室からつまみ出せ、これを普通に言う保護者に囲まれた義務教育でしたから、養護学校の話聞いてもさもありなんでした。
中等教育は、社会や資本家が望む人材を育成する場所。それがあかんならはいさいなら、規格外のあかんたれに予算と人手、使えません。
こんなことは、もう何十年も前から普通に言われてましたよ。豊川養護に限りません。普通学校、長期病欠児や不登校児を掬い上げるはずの定時制、税金でできている公立はシビアです。
誰も悪くない…現場の先生は、マジョリティの声に従っただけ。まわりの親たちは、我が子によかれと、問題起こす子どもを排除しただけ。こちとらも、できることを精一杯やった。それでもダメだっただけです
いいじゃないですか。配慮を本分とする居場所があったから、養護学校に三下り半叩きつけておんでてきた。それ以上でもそれ以下でもない。そうでしょう?
こうまま
居場所を作れたこと、良かったと思います。
安心できる居場所がなかったら、退学はできなかったと思います。
このままでは我が家と同じように苦しむ家族が出てきてしまうので、学校へのアプローチをはじめていこうと、同志と一緒に動き始めています。
時間はかかると思いますが、出来ることを精一杯続けていきたいと思います。